オフグリッド

コミュニタリアンというか共同体主義者なら、ドイツのシェーナウという
地域の住民が自分たちで発電所を作ったというのを緑の党GJ周辺の方々に教えてもらったりしたが、茨城県でも東海村の自治体のひとつが似たような事を始めている記事を目にしたのが先日。

大企業発展主義者の場合は、送電線という、電気が長い道のりを流れて行く間にロスが生じる、そのロスがかなりあるのかないのか、そのサービスと引き換えに莫大なお金を得るという意図があるため、また消費者の側も、自分の所で発生できた電気をそういう送電線を持っている所に売れば儲けというお金を得る手段になるならばと、従来の送電線企業とタイアップしながらやっていこうとしている。原発の代替えのスピードアップという面では、この方法は複雑ではあるが、貢献もしているのかも知れない。

フグリッドという言葉を昨夜、意識することになったが、リバタリアンの場合にオフグリッドという独立して電気を発生できている状態というのは理想を感じるだろう。設置までは太陽光パネルにせよ小水力発電にせよ、小風力発電などにせよ、金属加工などの面で部品を別の企業などから作ってもらっていないと、材料から作るのはかなり現実的に難しいやも知れず、しかしながら、設置した後は、太陽光パネルは20年は持つという。どのくらい技術者にメンテナンスを受ける必要があるかわからないし、突発的に吹っ飛ばされるという面もあるかも知れない。その場合は
頑丈な網の発明が必要だろう。風力もそうだろう。蓄電池とのセットという問題もあり、モーターもいるならば、それらは太陽光パネルよりもはやく機能しなくなるのか。たしか昨日アップしたサイトには発電機のほうだったか15年とあったような気がする。

だが、15年もメンテナンスはわからないが、いちおう、最初は他人に頼るが、設置している間は15年独立状態のようなものだと思えば、
リバタリアニズム的に自由を得ている状態なのかも知れない。

コミュニタリアニズム的にしても、それが地方自治体なのか、市町村レベルとか集落レベルとか、または似た面はあるだろうが、団地とか、地方自治体の補助金などを介さない近所の有志の集まりで発電所を作る場合に、
地方自治体のほうは承認くらいになってしまい、社会主義的よりは自由主義的である。仲の良い近所の集まりならばリバタリアンコミュニタリアン的だと感じずに参加する感覚となるのかも知れない。

大企業主義をぶっ壊せるのは、リバタリアンとコミュニタリアんだろうが、それぞれどういう動向が生じるか、または生じないと大企業管理主義となってしまった日本を変えられないままだ。

パソコンがコンピュータの世界を中心的コンピュータ誘導の仕組みから、分散ネットワーク化したように、大企業管理型の仕組みをぶっ壊すには、
小さく分割、分散化された電気製造の見方による、個人個人主体のホームメードな動きが各地で勃発しなければならない。

原発反対運動が意識面で踏ん張ってくれて来たわけだが、現実に電気を独自の保有物とするためには、送電線を持つ大企業の方法に対する、分散型の出来ればオフグリッドな対抗措置である。

だから、細川護熙さんと小泉純一郎さんの社団法人などが音頭をとって、
家庭で自分たちで電気を作ってみようアドバイザーみたいな身近な立場の人を養成して各家庭で楽しく教えてくだされば、世の中は面白くなるだろう。

一方、家庭で電気が作れて無料化するとずっとテレビをつけっぱなしにしたり衣類やプラスチックなどを過剰生産して貯めだす人たちが出てきてしまうだろうから、電気製作アドバイザーは、電気生活アドバイザーも兼ねて節度というものを国民に教え合っていく立場となっていただきたいものである。