お見合い結婚研究が思い出を思い出させる。

<お見合い結婚復活研究61>

この所の寒暖の差からか昨日の勤務の疲れが今ごろ出たか、勉強を急にはじめすぎたからか、体調今一歩なのと明日からまた勤務なので、もっと出来たような気もするが、これを書いたら今日はネットを離れると思います。

後で思い返したら全ては必然的に動いていたという運命論というのは考えようによってはロマンティックな感覚を受けるかも知れません。こじつけのような気もしたり?岩波新書の『偶然性と運命』(木田元)など内容を忘れてしまってはいるが、面白くて再読したいが、それも忘れてしまったりする。

本来はそんな、偶然と必然とか、なぜ存在してるのかとか、宇宙の始まる前はなんだとか、わけのわからない話が好きですが、社会のトップ層やエリートが変なので、仕方が無いから反抗するしか無かったり、婚活だって
相当やっても200人応募しても振られ続けているのでは、ぐれるにも
ぐれるわけにもいかず、...現実的な方面を考察してなにかせねばならない。

自分は現在まで生きることが出来ていて、その証拠にこうして文章を作って送っているけれども、一体自分はどうして来たのか?膨大な浪費を人生にしてきたようでもある。

なにかの調べを始めると資料が欲しくなって散財していくのだが、それも怖いが、1987年に『性指導読本』(高石邦男、間宮武)というのが出ていた。自分は一応、人文学部心理学コースを卒業と言うことになっているが、今は心理学科になっている。しかし、途中でスランプになったりひどいものだった。

ゼミの指導を受けた先生が東城正城という先生で、亡くなられてしまったが、東條英機の孫だというのを誰から聞いたのか、聞いたことがあったと思うが、ネットで一つ詳しく書いてある人がいて、そうだったので、そうなのだろう。先生の父親は三菱重工業の副社長をしたそうだが、自分は三菱重工業は日立、東芝と共に原発メーカーだから、ぼろくそネットに書いてきた。それも一つの因縁だろうか。

間宮武という人が心理学者で純潔教育を推進していたとあるので、自分のようにほとんど心理学を会得もせず人生を浪費したように思っていたのが、ここで繋がるような気がして、その本も購入してしまった。まだ届いていない。これでもお金に限りがあるので厳選しているつもり。

東條先生は生理心理学をしていて当時は脳波の機械を使っていて、自分はその機械の使い方や意味がわからず、スランプに陥り、退学はしなかったが、実家に一度戻って出直したことがある。卒論は脳波計を使わなかった。以前は卒業出来ない夢を何度かみた。

間宮武という人は性差心理学という分野らしいが、東條ゼミでも、生理心理学だから、ラテラリティーという脳の左右の差を考えたり、同級生で
男女の差をテーマにした人もいたのを思い出す。自分は個人の感情や性格によって、感じる時間感覚に違いが出るのかどうかと言うようなのが卒論だった。広島修道大学に先行研究があり、東條先生から結局もらってしまった時間の心理の本をみて参考にしたと思う。修道というところも、純潔教育に因縁を感じる。自分のは専修大学である。箱根駅伝の時なんかは
気になる。

なんかいつのまにか文章の末尾がですます調からである調に変わっていた。

『性指導読本』の出版社が実は自分が10か月しかいなかったが、相当疲れてはいたが、その頃亡き父の病状が悪化したので、名古屋の支社にいたのが帰ってこいやーと言われて帰郷した出版社だったのである。これも因縁に思う。

同期との初顔合わせでは大勢いて、華やかだった記憶がある。学生時代は地味でサークルにも入らず、居心地が良くなくて授業ばかり出てはいたが、意味もわからず、なんのための4年間だったかなと言うのもある。
だが、それでもなんらかの細やかなことはあったのかも知れない。

バブルは崩壊していたが、余韻は残っていて、同い年の織田裕二映画では『就職戦線異状なし』やテレビドラマでは『東京ラブストーリー』などが放映されていた時期である。その頃からいまだに結婚が出来ない。
すごい年月が飛び去った。

しかし、著者が心理学者で、出版社が最初の自分が入れてもらった会社で、今調査を始めて、日本という国のお見合い結婚の復活を本当に動かしたいし、純潔教育という遺産を持っているというのがわかったし、それが巧妙に崩されていって日本の精神性から崩れていって、現在の原発問題やらなにやら起きているんだろうと繋がっている。

このテーマで25年間くらいやり直せる気がする。個人史というテーマに
おいても。

間宮武氏の共著者の高石邦男氏がリクルート事件に関与してしまった人と言うのもなんだか、きれいごとで済まされない世の中になってしまっている面で、身が引き締まるような気もする。

性の崩れも金銭感覚の崩れも同様な元から起きていることだろうと思う。
そちらのほうも調べて関連づけて行きたいし、農業の衰退や環境悪化の問題も同じ根を持つはずで、全部繋がっているのだ。

全力をあげて取り組まねばならないし、お見合い結婚の復活と純潔教育のような総合的な姿勢、それが曲解されてしまってきた事に対して、それらが様々な社会の考察において導入の役割をする。復活と再発掘が成功したならば、応用が他の解決されない問題に対しても適用されるセンスが身につくはずだ。

ベーシック・インカムについても随分注目してきたし、農業衰退や
生きづらさ問題も依然として解決されないが、現在の、お見合い結婚の
復活と純潔教育のような視点の再発掘は最優先だ。

その本一冊にも因縁だらけの思いがする。

読んだことは無いが、「失われた時を求めて」なんて小説は、お菓子を口にした途端に昔がありありと蘇ってきたみたいなエピソードがあるらしいし、坊さん修行で庭を掃いていたら石ころが箒にあたって悟った?みたいな、なんだかそういう繋がりみたいなものはあるのかも知れない。と考えたほうがロマンティックだし、ロマンティックラブイデオロギーなんて言葉が最近自分のほうへ向かってきたりもした。

自分には、お見合い結婚復活研究がお菓子や石ころの役目をするのだろうか。

しかし今日は疲れた。自分の場合は風呂が先だけど、晩飯食って、少しの晩酌も含めて、横になろう。