少子高齢化論

今は参加していないが、緑の党GJのメーリングリストに、有力な女性の会員2人は結婚でもしたほうが良いのではないかという事を書いたら、何人かから余計なお世話だとか批判を受けたことがある。

その時は批判返しを出来なかったが、やはり、独身者に結婚はしたほうが良いのでは無いかと言えることのほうが普通であるほうが正しいのではないか、それが逆になってしまっている人は、なんらかの現代的な思想の影響を受けていると思う。なんの思想の影響かはまだ捉えていない。

昔はほとんどが見合い結婚で、お節介なおじさんおばさんがいたり、家族も昔のほうが結束が高かったから、(それを革新というのかなんというのか新しい人は癒着と言いたがるが)結婚できる率も高かった。ほとんどの人が結婚できたらしい。

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ところが現在はどんどん結婚できる確率が低まり、離婚率は高まっている。自由の観念を高めてしまったことと、あまり干渉するなという観念が高まってしまったことによって、恋愛結婚主義になってしまったところ、
それに対するパワーの落ちる人が負けてしまうようになったのだ。

そしてそういうのに強い者たちは隠れてとっかえひっかえしていて、
自由だからと、雑誌によっては本当かどうか知らないが、交際人数
10人とか20人とか信じられないような数字を出していたりする。

実際、自分がいくら20年にわたって頑張ってきても結婚できないわけで、性格は書けないが、写真だってFacebookにも出していて、そんなに
崩れている顔でもスタイルでも無いのだろうに、結婚がどうしても出来ないでいることをみても、交際人数が10人とか20人とか書かれている情報などをみると、本当なのかどうなのか、極端な人が極端な交際を繰り返している狭いネットワークがあるだけの気もするが、自由を享受できる人はできるのではあろう。

そういう自由な人は契約したパートナーを傷つけたり性病になったりするのが自業自得なのだろうが、そういう人が大勢いると、真面目に生きていながら選別されて生涯独身になってしまう被害者が出来てしまうということだ。

こういうことを書いても陰でバカにしているような人たちのほうこそ、
精神的に参っているのではないのか。

少子高齢化というのは日本人の自由になりすぎた面とモラルの崩壊の面からもたらされたものなのだ。

そういう説明まで緑の党GJにしておけば、いつの間にか時代の風潮に
知らずに流されて、昔の不器用な時代の感覚にも思いを馳せてもらえたのかも知れないし、組織のイメージからして、そういう面も昔を忍んで
欲しい面もあったが、理解し合えず残念なところであった。

昔のほうが親族による生命の奪い合いさえ強かったというがそれは反面、愛情が狂ってしまった面であり、愛情があったわけでもある。現在は、
他人なんかどうでもいいし、他人の干渉なんかするなよ。結婚なんて他人がとやかく言うものじゃないという風潮が正義とされ、そのために、結婚難に生涯陥る人が大きく増加していることに気がつかない。

お節介なお見合いおじさんやおばさんの復活を望むし、笑い話に聞こえるかも知れないが、親同士が婚活の場に出ているパターンもあるとのことだ。困っているからそうしているのであり、それこそ他人が離れたところで笑うべきことではないだろうに。