頭の良い人たちは悪口よりも正当性を語ろうとしてしまう。痛みが少ない。

なんだかハフィントンポスト日本というのか、ここは面白いときもあるが、随分小保方さんの話題をこれでもかというほど出していて、どれをコメントしていいかわからないくらいだが、最初、藤沢数希さんだったか、小保方批判でSTAP細胞は無いという論を出していたが、この人に限らず、大事なのは、ホリエモンみたいな例がそうだったが、他人をやさしさも無いように批判する文章を頭は相当良い人たちなんだろうが、無いということだ。そこが大事だ。そういう競争感覚で乗り切って頭の相当良い人たちは正当性のような面には優れているが、相手を蹴倒してでも、正論にもっていこうとする。これらはたぶん、アメリカかどっかの経営修士とかなんらかの合格の方法とか、そういう面の習性を身につけてしまった人たちなのだろう。だからそういう人たちの間では、そういう蹴落とし合いのような表現も感情的にならずに出来るのだろうが、いやむしろ日本人の感情面をやや残しているからさらに気持ち悪い人たちになってしまうのかも知れないが、アメリカとかどっかの議論に悪口が入らないというのが、悪口を言い合ってもなんとも思わない、挑発的な挑戦的な人たちを生み出してしまうのだろう。だから、その人たちの間では、そんなに気にしない悪口合戦なのかも知れない。小学生と同じだ。だけど、そういうわけのわからないアメリカかどっかの訓練を受けていない人たちにとっては、ひどい悪口に感じるし。だけどさらに陰謀論のように、小保方さんは女優だなんて発想をする人たちまで出て、真実どうかは、小保方さんの本心しかわからないし、多重的人格者かどうかもわからないけれども、どうにも俺自身には想像もつかない、人間性とは一体なんだったんだろうねと思われてしまうような発想が頭の良い人たちからは出ていってしまって、一方で思いやりすぎるとしがらみになってしまうし、そういうアンバランスを知識を語る人たちがなってしまっている面が、日本の現在までの問題なんだろうと思った。それ以外はわからない。