ある番組に沿った自分の時期

「笑っていいとも」の最終回は仕事で観られず録画しておいてこれから観ようとしている。夜のグランドフィナーレは録画しながら最後まで観た。

ダウンタウンとんねるずは業界的に一緒に出ないのかとかネットの噂で信じ切ってしまっていたが、そんなことは無かったので、政府や官僚や大企業だけでは無く、ネットに信じ込まされてしまっていることもあるんだなということを少し感じた。
笑っていいともは自分が14歳頃から始まったのか、32年間というのは相当に長い。自分の可能性をどんどん費やし、減らしてきた32年間でもあったが、出演者の変遷の中で番組は続いていた。

最近の笑っていいともはまったく観ていなかったため、それでもだいたいの出演者はなんだかんだで観たことはあるのかも知れないが、地上波そのものも、このテレビそのものやネットの多様化によって極端に観る時間が減ってしまった。それで視聴率を云々するのは酷だろうし、数字だけでは無い面は確かにある。
数字もある面では評価の対象を論じているけれども。

そして、笑っていいともを自分が一番観ていた時期があって、それが自分としての
笑っていいともがピークの時期であって、それは他の番組にも言えることで、それが自分自身とある番組や作品とのコラボレーションされた、自分にとっての意味ある時期であり、時代であったのである。

自分自身がリンクしていた時期の作品である、『就職戦線異状なし』を今日、スカパーから録画することになっている。

映画が映画館以外に観られない時代もあったわけだから、なんとも贅沢であるが、
思い出に浸れるように自分自身が普通に年老いていたれれば良かったものの、
結婚もしていないのでは、就職戦線異状なしの時代から何を得たというのか、
ただただ年齢だけを費やしてしまったのではないかと揺らいでしまうのだ。

aikoの『桜の時』の中に、一人と出会えたことで今までが報われたというような
取り返すことができたというような部分があって、過去を変えることが出来ることが出会いなのだと信じている。

むしろ高校生や大学生の時代にはこういうことなど思わなかった。
笑っていいともはやっていたけれど、その頃は、就職戦線異常なしもaiko
現れてなかった。

思い出だけは贅沢に保有してしまったが。